これは私が経験した、
妊娠・流産・死産 等に関わる記事です。
かなりリアルな描写があります。
それらのキーワードを不快に感じたり
読むことで辛いお気持ちになる可能性のある方は
これ以下に進まず画面を閉じて下さい。
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なぜ、これを記事にしようかと思ったかと言うと、
私が実際に苦しい思いをしている時や悩んでいる時に、
検索して同じ境遇の人たちのブログを読んだからです。
それによって情報が得られたこと、
共感したり不安が払拭されたり、
そして勇気付けられたから。
私には、3度の妊娠経験があります。
◆2013年 11月に妊娠→流産
心拍確認後 9週で流産後、搔把手術。
◆2015年 5月に妊娠→死産
胎児の問題が見つかり 15週で出産。
同年9月 子宮内に巨大な胎盤ポリープが。
子宮動脈塞栓術と内容物除去手術のため
2週間入院。
◆2016年 4月に妊娠→流産
また心拍確認後9週で流産、搔把手術。
日帰り手術の予定が、術中の原因不明の大量出血により、急遽ICU入院。
同年8月 突然子宮から巨大な胎盤ポリープが出て大出血。緊急搬送される。
…もうね、
妊娠に関することが、
全部、ぜーーーーんぶ
普通に進まない。
本当に、もうなんか、
子供は産まない方が良いって神様が言ってるのかなって。
本気で思うほど、
全ての行程がイレギュラー。
心拍確認後は、
流産率が一気に下がるはずなのに、
毎回ちゃんと確認出来るのに
そのあと、喪ってしまう…。
そして、
3冊、母子手帳ももらった。
妊婦マークも、沢山の書類も。
いつどのタイミングで処分したら良いのか
いつも 分からないんよね。
3度の妊娠でお腹に宿った子、
3人とも 同じだけ愛しくて大切だけど、
1人だけこの手に抱いた子がいたので
そのことを書こうかと思う。
1度目の流産までは、
“妊娠したら、出産するのが当たり前。”
だと思ってた。
周りもそうやし、
疑うことなんて全く無かった。
でも、流産を経験して、
“子供が育つことは奇跡” なんだと知り
2度目の妊娠は喜びと同時に
不安との闘いだった。
泣いて泣いて泣いた、
天国から地獄へと突き落とされた
あの思いを また するのかもしれない。
そう思うと、幸せだなって感じる暇もなく、
毎日が 不安だった。
まずは、6週で心拍の確認が取れた。
頰を涙が伝った。
でも安心は出来ない。
これからだって、まだ 分からないんだ。
13週。
あと少しで安定期。
1日が 長くて長くて。
検診の日は、私の37歳の誕生日。
こんな偶然ってあるのかな。
可愛い可愛いあなたに会えるなんて。
その日、医師が険しい顔でモニターを見ていた。何度も何度も。
言葉もかけられずに、ずっと長時間にわたって何かを確認してた。
不安でたまらなくなった。
嫌な予感がした。
母の予感は当たるものなのかな。
その後、検査を重ね
まだまだ小さな私の赤ちゃんには、
先天性の異常が見つかった。
何万分の1の確率で起きる、
聞いたこともないような病名。
それが、1つじゃない。
いくつも重なってた。
医師も、このパターンは見たことがないと。
お腹にいる赤ちゃんは今確かに生きてて
その証に、私は重度の妊娠悪阻で
毎日毎日苦しんでいた。
体重は1ヶ月半で7キロ痩せて、
水すら飲めなくなって、点滴に通ってた。
医師たちは、
予後は望めず、妊娠の継続は勧められない。
母体の負担が少ないうちに堕胎を、
という内容のことを とても遠回しに言う。
あくまでも、私の意思で決めることなのだ。
私たちは 決断しなければならなかった。
15週に入っていた私は、
完全に出産という形で、赤ちゃんを迎えることになる。
前日にラミナリアという、海綿体の棒を
子宮口に入れて、広げるんやけど、
これが、本当に激痛。
痛過ぎて吐きそうになった。
入れてからは
中が膨らむ感じで
中が膨らむ感じで
生理痛のような鈍痛が続いた。
あまりの不安とショックと悲しみで
全然眠れなかった。
出産当日。
陣痛促進剤を、直接膣の中に医師が入れる。
しばらくしたら、腹痛が来て
破水。そのまま出産 の流れ。
の、はずだった。
当時のラインの画面を貼って行きます。
【注意】とてもリアルです。
膣錠は3時間ごと。
入れても効果がなければ、再度入れる。
そして1日に、5錠まで。
つまり、5錠でも陣痛が起こらなければ
翌日に持ち越しになる。
いろんな人のブログを見たけど、
早い人は一錠で、
遅い人でも翌日には破水をしてたから
私も、今日かなと思ってた。
けれど。
信じられないコトに、
何錠入れても 私の子宮は何の反応もしない。
軽い生理痛のようなものは来るけど
それ以上には、 なにも起こらない。
5錠…10錠…15錠。
嘘でしょ…?
3日目を迎えてた。
朝5時から分娩台に登り、
3時間ごとに膣錠を入れられる。
先生も、「こんなことはこの病院でも個人的にも例がない。」とのことで、
ほかの病院の先生に相談してたようだ。
20錠を入れても わたしには何も起きない。
赤ちゃんが体からいなくなることが怖くて
悲しくて悲しくて悲しくて
「行かないで…」って思ってたはずなのに
気がついたら、
「もう早く出て!お願い!」って思ってる自分に気付いた。
隣の部屋では、妊婦が苦しむ声がする。
そして、ほどなく 赤ちゃんの産声がする。
苦しくて苦しくて苦しくて苦しくて苦しくて苦しくて頭がおかしくなりそう。
私は何も得られず
誰にも会えず
全てを失うのに
そのために今ここにいるなんて
4日目に入り、水さえ口にせず、
朝5時から膣錠を入れ続ける。
医師も、お手上げ状態で、
とにかく、これを続けるしかない と言う。
自分でも自分がおかしくなってるのが分かった
全てが憎くなった
毎朝通る、新生児の見える部屋も
隣で苦しそうに喘ぐ妊婦も
心配そうに部屋の外で待つ家族たちも
この世の全ての人が羨ましくて羨ましくて
苦しくて苦しくて苦しかった。
そして、28錠目の膣錠を入れたあと
お腹の中で鈍い音がして、
どろっと、温かいものが伝うような感覚があった。
もうこの頃の私は、本当に疲れ果てて、
感情という感情の線が全部抜け
ただ、そこに転がってる人形だった。
冷静にナースコールをして、
駆けつけた看護師さんが
「もうでます!」と
すぐにお産に進んで行った。
私の中から
小さな小さな愛しい体が
通っていく感覚が 確かにあった。
あっという間だった。
ずっと
ずっと
声も出さずに
静かに泣いてた。
ずっと
ずっと
涙が顔を伝って、
ベッドへと流れた。
あの時の あの感覚を
私は今もはっきり覚えている。
命を生み出す あの感覚を。
出産後、
赤ちゃんに対面するかどうか?
質問されていたけど
産んでから決めます。と答えてた。
父は絶対に「対面するな」と言ってた。
母が私の前に身篭った子を死産した時、
会ってしまったらショックで立ち直れなくなるからと、父だけで火葬したそうだ。
正直、私も産む前は、会う自信が無かった。
怖すぎた。
自分が本当に狂ってしまいそうで怖かった。
けれど、今回、
28錠もの促進剤に対して
それでも私の身体にしがみ付いて居続けようとしてくれた
この子に会わないなんて、もう考えられなかった。
親友が、真っ白のおくるみを
入院前にくれていて。
そのおくるみに包んで
助産師さんが連れて来てくれはった。
赤ちゃんを見た瞬間、
頭がおかしくなるほど泣いた。
泣き叫んだ。
けど、私の第一声は、
「可愛い!」
だった。
本当に可愛かった。
可愛い可愛いよごめんね愛してる
元気に産んであげられなくてごめん
感情が爆発するって
こういうことなのかな。
自分の涙で溺れそうなほどの
今まで経験したことないほどの
大量の涙が目から溢れ出るけど、
それで視界が水の中みたいで
でも、赤ちゃんの姿を見たくて
必死で目を見開いた。
1秒でも長く見たくて、
自分の中に刻みたくて、
目を見開きながら
手のひらにのる 小さな愛しい身体を抱いて
わんわん泣いた。
だから、究極に気が動転してたはずの
あの時間のことを、
私は しっかり覚えている。
忘れちゃダメだ、
絶対に忘れちゃダメだ、って
溺れずに 必死で目を開いていたから。
この経験は、自分の人生で
一番 辛いものとなったけれど
でも、私は本当に強くなった。
強くなっても、8/1が近付くと
やっぱり弱く弱い自分が出て来て
今でも 泣いてしまう。
この文章も、なかなか描き進めなくて
何日にも渡って書いた。
でも、同じような経験をされている人の目に
この記事が入ることがあったなら。
私に言えることは、
それでも、生きてる。ということ。
確実に前に進んでいるし、
幸せを諦めていない。
起こること 全てには意味があって
その時の判断や選択は常に最善だから、
この 辛い経験は私の血となり肉となり
優しさや思いやりへと 変えて行ける。
みんな、辛いよね。
みんな、何か抱えてるよね。
私も すっごく辛い時ある。
でも、幸せな時もあるし、
これから もっともっと幸せになるよ。
3年前の今日、私は
愛しい我が子を産みました。
またいつか あなたに会える日まで
2人仲良く、笑って過ごすから
それまで 待っていてね。
いま 隣にいるパパはとても優しくて、
どんな時も ママの味方でいてくれる人やから
また気が向いたら 会いにおいでよ。
ママも 前よりも少しだけ 大人になったし
きっと、もっと安心していられるよ。
心から 愛してます。
愛しい 愛しい あなたへ。